日本基督教団御殿場教会  United Church of Christ in Japan Gotenba church

教会とは

教会とは

教会では主イエス・キリストを礼拝しています。

  • 教会では毎週日曜日に、礼拝をしています。礼拝に出席されたことはありますか?子供の頃、教会の日曜学校に通ったという方もあるでしょうし、キリスト教主義学校に通っていて、礼拝をしたという方もあるでしょう。礼拝では、聖書が読み解かれる他、讃美歌を歌ったり、お祈りをしたり、献金もあります。礼拝の内容については、後ほどお話したいと思います。でもなぜ教会では礼拝をするのでしょうか。
  • 教会の礼拝には、主イエス・キリストがおられるからです。私達人間の目には見えませんが、教会には主イエス・キリストが現実に生きて働いておられるからです。教会の礼拝で、私達はこのキリストとお会いします。そしてこのキリストを拝みます。これが礼拝です。
  • 教会は、主イエス・キリストを礼拝するところなのです。

礼拝が自分を形作ります

  • 「拝む・礼拝する」という言葉がピンと来なければ、「一番大切にする・最優先する」と言い換えても良いでしょう。
  • あなたは何を一番大切にしていますか?不思議なことに、私達は自分が一番大切にしているものにだんだん似てきます。よく「やって来た仕事が顔に出る」と言います。それは「人生において自分が一番大切にし、一番優先してきたもの」が、その人を形作っていくからです。従って、「拝むこと・礼拝することが自分を形作っていく」と言えます。そう考えますと、「何を拝むか、何を一番大切にして生きていくか」と言うことは、「どのような自分になるか」と言うことでもあるのです。
  • では、あなたはどんな自分になりたいですか?
  • 私達は教会でキリストを拝んでいます。つまりキリストを一番大切にして、キリストを人生において最優先に生きています。そしてそのことは、徐々に私達を「キリストに似たもの」にしていきます。でも「キリストに似る」とは、どうなることなのか。そのことをお話しする前に、「キリスト」について少しだけお話しします。

主イエス・キリストは神です。そして神は愛です》

  • 主イエス・キリストは今から2000年前、現在のパレスチナで活動されていました。主イエス・キリストは私達と同じ肉体を持った人間ですが、同時に真の神でもある方です。この方の中に、神が完全に現されているからです。

    「私が父の内におり、父が私の内におられると私が言うのを信じなさい」

    (ヨハネ福音書14章11節)

  • 神とは、一言で言うなら「愛」です。しかもこの愛は、「愛してくれるから愛する愛」や「出来が良いから愛する愛」ではなくて、「相手が何者であろうと分け隔てなく、損得勘定抜きで、どこまでも限りなく愛し続ける愛」です。

「神は愛です」(1ヨハネの手紙4章16節)

  • 主イエス・キリストの生涯は、この神の愛で、すべて埋め尽くされていました。神の本質である愛が、神の愛の意思、愛のご計画が、キリストの全生涯において、完全に現されていました。ですからキリストは人間ですが、しかし同時に真の神であり、神の愛そのものなのです。
  • この「愛であるキリスト」を拝み、「愛であるキリスト」を一番大切にしていくことで、私達は次第に愛に向けて形作られていき、「愛することができる人」、「愛の人」になっていきます。「神と人とを愛する人」になっていきます。「キリストに似たものになる」とは、そういうことです。
  • 自分の都合で愛することはできても、分け隔てなく、損得勘定抜きで愛する愛は、エゴの塊である私達には、本来備わっていません。しかし礼拝を通して、主イエス・キリストを拝むことを通して、神は私達を「愛であるキリスト」に似たものへと形作って下さいます。「愛することができない自分から、愛することができる自分」へと、神は私達を形作って下さいます。ですから優等生だから教会に行くのではありません。愛することができないから、愛する重荷を負えないから、教会にいくのです。

「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく、病人である。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マルコ福音書2章17節)

すべての人が礼拝に招かれています

  • そして忘れてならないのは、神はクリスチャンだけを愛しているのではなくて、「すべての人を愛している」ということです。神はすべての人を愛しているから、恨みや怒りや妬みで人が形作られるのではなく、愛で形作られていくことを、何よりも喜び、熱望します。それ故、神はすべての人を毎週の礼拝へと招きます。すべての人が「愛であるキリスト」を拝み、キリストに似たものとされることを神は熱望して、昔も今も、変わることなく、神はすべての人を礼拝へと招いています。
  • 知る、知らないにかかわらず、人は誰でも皆、神から礼拝へと招かれています。私達の手には神からの招待状が届いています。私達が勝手に礼拝に集まるのではなく、すべての人を愛して止まない神が礼拝に招いて下さるから、私達は礼拝に集うことができるのです。もちろん、あなたにも神からの招待状が届いているはずです。

礼拝の内容について

  • 私達の教会の礼拝は午前10時30分から始まります。どうか5分前には礼拝堂にお入り下さい。聖書や讃美歌などは教会にありますから、初めてでもご心配いりません。お子さん連れの方でも母子室がありますので、気兼ねなく礼拝が守れます。礼拝は受付でお渡しする週報に従って進行します。聖書が読まれ、聖書の内容が牧師によって解き明かされます。これが説教です。説教を通して、礼拝に臨んでおられるキリスト、そして私達が礼拝しているキリストがどういうお方であるかが、いよいよ明らかにされていきます。その際、私達がよりどころとするのは聖書、これだけです。
  • 聖書はキリストについて書かれている書物です。でも極端な話をすれば、自分の都合によって、自由に解釈できる書物でもあります。事実、勝手な聖書解釈で、異端的な教えを宣べ伝えているところもあります。それだけに私達の教会は、2000年前キリストが現してくださった真理、そして2000年間教会が継承してきた真理だけを、常に正しく宣べ伝えることを心がけています。一人一人が聖書を読み、聖書に親しむことはとても大切です。でもそれ以上に大切なのは、教会の礼拝で聖書を読み、教会の礼拝で聖書の解き明かしを受けることです。教会を離れて、自分勝手な思い込みで聖書を読むことは大変危険です。
  • では、礼拝で明らかにされるキリストとはどんなお方か。ここではとても伝え切れませんので、これについては、ぜひ教会の礼拝で、徐々に体感して行ってください。またこのホームページにある説教の項目もご参照下さい。
  • ただ先程も言いましたが、キリストは神の愛そのものです。キリストが人間としてこの世に生まれたこと(クリスマス)も、キリストがすべての人の罪を背負って十字架につけられて死に(受難)、三日後に復活されたこと(イースター)も、キリストが天に昇り、聖霊を地上に送ってくださったこと(ペンテコステ)も、すべて神が私達を愛しておられることに深く関係しています。これらは実に驚くべき神の愛の奥義です。この神の奥義「主イエス・キリスト」に、どうか毎週の礼拝を通してあなたもあずかってください。
  • さて、説教を通してキリストが明らかにされることで、私達は心からの感謝と喜びを応答することができます。それが讃美歌になり、献金となって現れます。ですから献金の金額は各自の自由な判断です。
  • また月初めの礼拝では聖餐式があります。これはキリストと信仰者との信仰の食事です。洗礼を受けておられる方なら、どこの教会の方でも共に聖餐式にあずかることができます。まだ洗礼を受けておられない方につきましては、一日も早くキリストを信じる信仰に導かれて、この信仰の食事を共にできますことを、私達は心から願っています。
  • 礼拝後には「礼拝後30分の会」があります。教会は初めて、また聖書になじみがないと言う方もご自由にご参加下さい。当日の説教について、牧師を交えて楽しく懇談します。
  • キリスト教の教えについて、入門書となるものを幾つかあげておきますので、参考になさってください。礼拝について、教会について不明な点は、どうぞ牧師にお気軽にお尋ね下さい。それでは教会でお待ちしています。

「誰でも求める者は受け、探す者は見つけ、門を叩く者には開かれる」(ルカ福音書11章10節)

参考文献

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